春のお出かけ:大龍寺写経 &座禅記(前編)
春のお出かけ:大龍寺写経 &座禅記(前編)
晴れる節分。
ずっと楽しみにしていた、写経会や座禅会にいきました。写経や座禅、どちらでも人生初なのでとてもドキドキでした。
場所は、東京の早稲田駅から徒歩五分の大龍寺であります。ありがたいご縁で、住職の太田様もホトカミのインタビューを受けてくださったことがあります。(インタビューはこちら)
前編には、大龍寺の風景と写経会を紹介したいと思います。
大龍寺はどんなところ?
正式名称は曹洞宗起雲山大龍寺。江戸初期に開山され、350年以上の歴史があれます。ご本尊は釋迦牟尼佛(お釈迦さま)です。
山号と寺名
町の中にあるのに、山号があります。
公式プログによりますと、「起雲山」は「雲沸き起こる山」の意味で、「大龍寺」は偉大な龍の棲む寺」の意味です。
強大な威神力を持つ龍は、沸き立つ雲と共に現れます。と何か不思議な力がありそうですね。
誰でも参加できる写経や座禅
写経会は今年なら定例になり6週間一回開催されます。座禅会は毎月の第一土曜日開催されます。
こちらの写経会や座禅会は当寺の檀信者ではなくでも参加できます。丁寧な指導で初心者でも安心。
大龍寺へ!
地下鉄早稲田駅を降り、夏目坂を登って、4、5軒の寺を通ったら大龍寺に辿り着きました。
外からお寺に見えないモダーンな建築構造です。入り口に入って右側に曲がったら、緑に囲まれている外銅像があります。
この銅像は中国の天童山老典和尚(左)と曹洞宗の創設者道元禅師(右)です。
階段の下からの角度が一番好きです。
本堂に入ったら、線香の匂いに囲まれて落ち着いた気持ちになりました。
目の前に、息止めるくらい巨大な、綺麗な装飾があります。真ん中の天頂天頂を占めて、強い迫力でした。
畳の上では、椅子や巨大な木魚、鐘、奥は黒い経机、線香、ロウソク、お花。さらに奥はご本尊様です。(普段は紅い扉の向こうに)
一番気になるのは、両側の柱の周り、紫の地で金龍の模様のある巨大な布です。まさにお寺の名前通りですね。 この布は、荘厳(そうごん)か水引といいます。
本堂でご本尊さまを飾り、お参りする方の気持ちを醸造するためのもので、夏は白地で、冬は紫に変わりますと、住職さんが言いました。目を離せないくらいお気に入りアイテム。
この落ち着いている、荘厳な環境の中で、写経会が始まりました。
写経会
まずは住職さんより簡単な説明。
住職さんの話によりますと、今年から写経会は6週間一回に定例になります。
大龍寺の写経は、座布団や椅子を選択できます。最大16人もできます。
机の上で摩訶般若波羅蜜多心経の写本や書道用具も用意されています。自分で準備しなくでも大丈夫です。
長年書道をやっていないので、緊張しましたが、住職さんの言葉に救われました。
「上手ではなくでも大丈夫です。一番大事なのは丁寧さです。」
「写経は、自分とお経接をすることです。」
なるほど。
落ち着いて、お経の教えに大事真摯な気持ちは一番大事ですね。
背筋を伸び、深呼吸して、いざ筆を運び始めました。
心の中ではお経おゆっくり読みながら、字の形に集中して、腕を振り続けました。
初写経にて感じる変化
- 呼吸が整えました
スラスラではなく、スピードを落として一文字づつしっかり書き、
そしたら時間が遅くなることを感じ、心拍数が下がり、息も緩く深くなりました。普段はせっかちな性格で、バタバタしたら呼吸が浅く早くなりがちです。
写経でゆっくりすると、神経が弛めて、澄い気持ちになりました。
- 集中力が高まりました
普段は複数のタスクを同時処理していますので、集中力は分散しやすくなります。書き終わるまで気が散ってしまうかなと。
しかし、お経写ししかないと意識して、一時間弱目の前のことしか集中しなく、他の事を忘れることができました。目の前の今年か集中しないこととにより、気分もスッキリになりました。(集中しすぎてお腹がぺこぺこ)
- 心の余裕ができました
お経の文字が多く、1時間内では絶対終わらないと最初考えて、少し不安でした。しかし完成させるより、丁寧にお経を接することができたら大丈夫だと考え直しました。要は、時間の余裕がなくでも、心の余裕を保つことですね。
普段の生活ではバタバタしたり、同じタイミングで複数のタスクを処理したり、急がなきゃと、心の余裕の少なくなります。写経では、ただお経に集中すればよい。行動のペースを落とし、心の余裕を与えることができました。
書道にまだ慣れていなく、規定時間内は完成できないとわかりながら、気にせず自分のペースで書きました。
集中力の高まり、心の余裕など、写経以外の生活でも少しずつなればいいなと思います。
読経
美声に感動
4時半から、みんなが集まって、般若波罗蜜多心経読みました。まず、正座し、合掌して、床まで頭を下げ、三拝をしました。住職さんはお題を読んで、みんなは「木魚や鐘の拍子に合わせ、「觀自在菩薩….」から読み始めました。
初めてこんなに近くに、大きな木魚の金の音を聞けました。さらに、住職さんの声が 力強く、低いの美声で、鳥肌が立っているくらい感動しました。本堂内の空気が全て共鳴していて、体が畳、周りの空気の振動を強く感じました。
現代中国語のない発音
余談ですが、小さい頃は香港の時代劇よくみまして、般若波罗蜜多心経には馴染みがあります。広東語なら暗記程度までしたが、初めて日本語で読むのはすごく新鮮でした。
日本語と言っても、音読みなので、古い中国語である広東語の発音はすごく似ています。
例えば、色「しょく」(広東語Sek)最後の「く」、「一切(いっさい)(広東語ならyat cai)の「っ」には、現代中国語の発音では表示しきれない発音です。
普段の声より少し丸く、低音を使った方が良いとおもいます。お経の最後、長く読み、あーあー(F 音、と一つ音程低いG)に感動で震えました。どんな音程にするか、住職よりますと聞きました。
読経が終わりとしても、余音がずっと耳の中に残っています。
昔と今、写経の意味
もともと写経は、印刷技術がなかった時代に行われた人間によるコピーです。人間による作業ですので、間違いは避けれないですね。
ですので、丁寧に、お経そのまま写るのはとても重要です。
自分の文字に対する認識を忘れ、
お経は間違っても字を直さないということです。
そうではなければ、何百年にたったら、釈迦様の教えは全然違うものになります。
昔の人は、経をコピーするため、お寺を通って写経します。終わらなかったらまたお寺にくるか、お経を借りて家に写ることもあると。できた写本は、自分の経本になります。今度は自分の経本をまだ他のひとに貸してあげて、写本になります。
頑張って移す経本は自分の魂や息も入っているので、宝物みたいなものでしょう。
写経は釈迦様の教えを広げることであり、徳を積むための行為です。その責任の重大も感じます。
印刷術はすでに発達する今、手間かかる手動コピーはすでにいらないです。しかし写経はずっと 写経を通じて自分とお経の使い方を探求する事ができます。自分の心の修行ではないか?
今回書いたお経は、本堂に供養してくださいます。
私にとって、仏教を触れるきっかけでもあり、聖人の知恵を受け、神経や心を整えるアプローチだと考えています。個人でも家で写経しようと思っていることろです。
長くなりましたが、後編は座禅の感想を書きます。
感謝の気持ちいっぱいで、合掌。